ドームがすべてではないよ

FCからいつもと様子が違うメールが届いたその日、私は家のことで忙しすぎてやけに落ち着いてその連絡を受け止めました。
そうだよ。剛さんの体調第一だよ。仕方ないよね、寂しいけど。お知らせを早めにくれただけありがたいよね。きっとコンサートの代わりに何かしらのイベントやってくれるよね。…なんて思って。
でも今日のLFは違いました。なかなか読み進められなくて、剛さんがなぜ謝らなくてはいけないのか理不尽さに悔しくて涙が出ました。

今日の剛さんのLFや昨日のラジオでお話されたことを聞いて、去年剛さんは本当に無理をされてあの場所に立っていたんだな、と。そして今年ももちろん年末に向けて努力をしてくれていた。
謝る必要なんてない。今の剛さんのパフォーマンスで良いのです。実際今できる最大限のことを私たちにみせて聴かせてくれているじゃない。それでいい。光一さんと剛さん、どんなかたちであれ二人で並んでいてくれれば私はそれだけで十分なのです。

いつからか当たり前になっていた年末年始は二人と過ごすこと。周りの人たちの理解と協力があって私は13年かな、どこかしらの会場に参戦させていただいてました。あるときは元旦狙い(光一さんの誕生日だからというわけではなく仕事の都合で元旦しか休みが取れなかった)、あるときは12月のクリスマス付近の公演のみ狙い(年中無休の職場にいたため)、チケットが取れれば必ずどこかの公演に参加していたのです。
いつからかそれが私の生きる力になってた。
でもそれは決して当たり前ではなかったんだよね。

今になってまた、去年の12月16日に剛さんが言っていた「20回目のドームにどうしても立ちたかった」という言葉がズシンと胸に響きます。ドームで行うコンサートがすべてではないけど、どうしても無理をしても立ちたかった、立ちたい場所になってたんだね。