いつも二人で☆

長文です。自己満足です☆二人が出会って20年目に思うことをつらつらと。


初めから二人だったKinKi Kids

1991年5月5日、横浜アリーナ
黒ぶちメガネの優等生とぷっくりガキ大将は光GENJIのコンサートで出会う。
二人はホテルの部屋に通される。「テレビ何見る?」ぎこちない空気でやっと放った記念すべき一言目。あまりにも有名なセリフ☆

昭和54年生まれの関西出身の二人。そして、偶然にも同じ姓の二人。
世の中にはいろんな縁があるけど、二人は出会うべくして出会ったんじゃないかな?前世は夫婦だった、とかね(現世で縁あって出会う人は前世でも何かしら縁があった人らしいです)
社長はビビビッときたんでしょうなぁ。さすがです!

東京へのレッスンも二人は京都で待ち合わせて一緒に新幹線で通ってた。


いろんな先輩方のエピソードを聞くと二人は最初から社長によくしてもらって、わりとエリートだったみたいですね。お宅に招かれたり高級な食事をいただいたり。フォアグラはまだまだお子様な二人には得体の知れない食べ物だったね(爆)


同じ姓で同じ関西出身だからか、二人で雑誌に出たりして。いつも二人は一緒だった。
そのうちSMAPのバックに付くようになった。コンサートにバラエティに。93年4月、兄さんたちの番組で二人は「KinKi Kids」という名前をもらったね。コンサートでは二人のコーナーも作ってもらった。兄さんたちの後ろ姿をずっと見ていた。ステージ作りのノウハウから、いろんなことを教わった。帰りのタクシー代を出してくれたり、洋服だってもらった。左右の足に中居くんと木村くんのダンスシューズを履いた。寮で映画撮影ごっこをした。


KinKiさんはいろいろ初めてずくしのグループだよね。初の関西人のデュオ。KinKiさんがレコード会社JEの第一号アーティスト。94年12月にはCDデビューもしていないのに武道館で初ライブ。満員。1万人のお客さん。でも、MCでは全くしゃべれなかった。ショックで剛さんはバラエティーのビデオをたくさん観て勉強したんだっけ(そんなコンのMCはいまやトイレタイムと化した長丁場ww)


オーディションを経て、たまたま二人で連続ドラマの役を勝ち取った。デビューもしてないのに歌番組に出たり、ドラマに主演して主題歌まで歌ったりしてた。
多分この頃の私はCDデビューなんて期待してなかったように思います。ただ、デビューが決まったら決まったでその発売日を楽しみにしていたのも事実ですけど。そして飽きることなくリピリピリピ…(続く)

二人がこれだけ人気者になった理由は私にはわからないけど(正直、自分がKinKiさんを好きになった理由ももはやわからない(爆))、昔も今も良い意味でマイペース。がつがつしてない。二番目でいいって言う。でもだからと言って【自分】がないわけではない。


多分二人で乗り越えてきた壁もいっぱいあるんだろうな。決して私達ファンには見せないけど(光一さんは特にね)
剛さんが落ち込んでいたときも、適度な距離感で温かく見守って、時にフォローしてくれたのは光一さんだったはず。剛さんは光一さんだからやってこれたのかもしれない。多く干渉しない丁度いい距離感の二人。タイプの違う二人だからお互い補い合ってね(根っこの部分は似てるよね)
二人の苦労は二人の絆は、二人にしか知り得ない。私たちファンにもわからない。


ミュージカルに出会った光一さんはそこで作曲家として演出家としての才能を開花させる。
SHOCKという作品は光一さんの代名詞ともなりライフワークになる。
一方剛さんは音楽という自分をありのまま表現する場所を見つける(もっとも‘素直に'表現できるような環境になるのはずっと先だし、その環境を自ら切り開いた剛さんの努力は計り知れない)


お互いがお互いの別の居場所をつくって母屋に戻ったとき、その可能性は無限大。自信に満ち溢れてる。
長年やってきた。簡単なことじゃない。今ここにいること。私たちが知らない場所で二人にはいろんな苦労があったはず。二人で越えてきたこと。
今や二人の声は合わさると一つに聞こえる。ソロではまったく違う色なのに。
まるで長年連れ添った夫婦みたいな二人。言葉がなくても分かりあえてしまう。あえて言うこともない、「愛してる」「ありがとう」
でもたまには言葉にしなきゃ。だから剛さんはライブでそれを伝えるね。伝説のチュウ(←ww)は嫉妬からきた本気のものかわからないけど、10周年のハグも「いつまでも愛してる」の書き初めも本気ですよね。
それからIコンライブあとの「ごめんね。大好きだよ」メールもそう。
それから30作目のメモリアルシングルにも「ありがとう」が溢れてた。


番組で音楽を続けそれぞれ作品を世間に出す場所は違っても、音を作り続けてきた二人は、二人でも音楽を作れるようになった。
最初は番組企画でもある「好きになってく愛してく」。次は光一さん曰く反発からの「愛のかたまり」。それからは定期的にアルバムに合作を入れてきた。曲が光一さん、詞は剛さんっていう構図が多いけど、逆もありきで。でもそのうちソロ名義での音楽作りが確率してくると、アルバム内のソロ曲はなくなっていく。母屋では『二人』を全面に出す。『二人』であること、その意義を唱える。それはライブでも同じ。長年二人きりで5万5千人を集める。


二人活動が少ないと、本人たちがそれを不満に思ってることもあるように思う。2010年はそのいい例だった。ファミコン初日の挨拶で光一さんが言った「やっと揃いました」は本音だと思います。
12月にその年たった一枚のシングルを発表。二人の合作。『Family〜ひとつになること
言ってきたことが形になった。本当は30歳のタイミングで30枚目を出したかった。
剛さんがソロワークでも一貫して投げ掛けてたことを、光一さんの作るメロディーに乗せて一つの作品ができたこと。そこに意味がある。光一さんのことを一番に理解してる剛さん。才能を評価している剛さん。きっと光一さんだって同じはず。
お互いに足りないものを補って、譲り合って、それがKinKiだって。一人と一人じゃない。元々二人。それが自然体。それ以外の何ものでもない。誰かが代わりになることもない。
KinKi Kids。同じ名字の二人組。堂堂と光剛しく、つよい光を放ちながら二人はまだまだ進化し続ける。二人だからできること。二人じゃないとできないこと。
ひとつずつ叶えていってね。辛抱強く待つのは得意だからww
20周年おめでとう☆KinKiさん大好きです。この先もずっとずっとね。今までありがとう。これからも宜しく。